ガシャポン彼女
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 小石は、ふっと笑んでしまった。しかし、今日はページをめくる指が進まない。読む気がすっかり失せている。あの世界の持つ重圧が明確化しているからだ。

 不可避でいて不可視でもあり無駄に不可思議な色彩を見せる空間。

 苦しい重圧が精神を締め上げる。読もうとしても、それが頭にこびりついて離れない。仕方がないので、彼は外で散歩を始めようとした、その時、携帯電話が振動した。

 誰からの電話か確認する。聡美からである。先程電話がかかってきたばかりなのに、今度はなんの用件なのだろうか。訝りながら電話に出ると、

「散歩行こ!」

 てへへへ、と台詞の最後に聡美お馴染みの笑い声が加えられた。

 

 

 闇色に浸されたサイクリングロードの上を、男女二人が当て処もなくぶらりぶらりと歩いている。

 小石は、ちらと横を見た。木が等間隔に植えられており、その向こうには名も解らぬ雑草が、好き勝手に陣取っていた。更にその向こうには、昨今の環境を考慮すると比較的きれいな川が流れている。冬期にはそこに愛らしい鴨が訪れているので、よく聡美と見にいっていたものだ。

「あの本はどこまで読んだの?」

 昼とは対照的に、ひんやりとする外気を肌で感じながら、小石は小さく頷いた。

「ああ、読んでる、読んでる」

「じゃなくて、どこまでって聞いてるの!」

 聡美が立ち止まって聞く。

「うん?」

 仕方なしに小石も立ち止まり、思いだしてみる。

「ああ、確か船ん中で殺し合いが始まったとこくらいかな」

「あ、そこかなりの盛り上がりシーンでしょ? でしょ?」

 たとえ盛り上がっていなくとも、彼女の言葉を受け入れなければどうなることやら。

「ああ、確かに盛り上がっていた。つか、全体的にスピード感があっていいな」

 答えながら、小石は別のことを考えていた。彼女が今夜呼びだしたのは、こんなことを聞くためではない。もっと別の何かを問うために呼びだしたにちがいないのだ。

「聡美、お前、本当は何を聞きたいんだ?」

 聞きにくいことなのだろう。別の話題を差しはさんでからでないと、聞けないことなのだから。

「え、えーっと、えーっと……ヨッシーさあ、今日別の女の子と喋ってたでしょ? それも二人っきりで」

 耳が早いとは、まさにこのことを言うのだろう。小石は、内心で溜息を漏らした。

「違う、違う。奴とはなんつーか、そう、奴から声をかけてきたんだって。俺から話しかけたんじゃないし、そもそも話しかけられるまで一切国交は開いていなかった!」

「鎖国状態だったってこと?」

「そう、鎖国だ、鎖国。黒船が来ようとも、俺は刀で斬りつけて追っ払うから」

 でも、黒船って速く動くね。しかも大砲撃つでしょ、と聡美が言う。何を言いたいのか解らないが、このようなことは一度や二度ではなかったので、小石はうろたえなかった。

「ま、別にあいつと仲がいいわけでもないし、心配すんな」

「もしかして、私がかわいくないから、その娘のこと好きになったとか?」

「違うって。お前のがかわいいって」

 言ってから、しまった、と小石は思ったが、もう遅い。

「やっぱり! 私の顔しかヨッシーも見てなかったんだ!」

 違う、と言おうとして、小石は喉がぐっと締めつけられる感触を覚えた。聡美が目に涙をためている。後もう少しで涙腺の防波堤が決壊しそうだ。

 小石は沈黙を保った。彼女の瞳から涙がこぼれ落ち、その滴が頬を伝い、地面へと落下する様を、ただただじっと無言のまま見ていた。

 しばらく口をつぐんだままでいると、聡美が涙を拭い、

「どうなの?」

と、きつい口調で聞いてきた。

「顔だけじゃない。本当だって。説明しにくいけどさあ、なんか惹かれるオーラみたいなのが、聡美にはあんだって」

「ちゃんと説明してよ!」

 形容しがたいオーラだと言っているのに、それを説明しろ、と言われても、どうしようもない。

 彼女の目がまた潤い始めるも、小石は黙ることしかできなかった。

「なんとなく、さ。今日は目覚めが良かったから、なんとなく気分がいいとかあるだろ?」

 説得力に欠けるたとえだなとは思うけれども、小石にはこれくらいの説明しかできなかった。これ以上の説明を要求されても、無理だ。

「お前といたら、なんか楽しいんだよ。それ以上何を求める必要がある? だろ? お前と一緒にいられたら、いい時間がすごせる。俺にはこれくらいしか説明できねえって」

 しばし二人とも口を閉じたまま、居心地の悪い静けさに身を委ねていた。時たま聞こえる野良犬の遠吠え、酔っ払いのわめき声が逆に、この状況ではいい音に思える。

「ごめん……」

 謝ると、すぐ今まで以上に聡美がしゃくりあげながら泣き始める。

「泣くな、泣くな、な?」

 小石は彼女をそっと引き寄せて、頭を優しくなでた。その動作を何度も繰り返していると、しだいに彼女に平静が戻り始めた。

 しかし、まだその身はぴったりと小石と寄り添ったままである。このままでいたいのだろうか。小石は判断しあぐねたので、少しくらい待ってやろう、と決めた。

 犬の遠吠え。

 こんな真夜中にほっつき歩いている高校生。

 彼らの学生生活と自分のとでは、どこか違うように思える方向性。

 自分のことは棚に上げる小石。

 再び犬の遠吠え。今度はいくらか大きかった。身動きせず先程からずっとこの状態なので、手足が痺れてきた。

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