ガシャポン彼女
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 夜中の外出は、できれば控えたかった。

 不良に絡まれるかもしれない。

 苦情を近隣の人間からぶつけられるかもしれない。

 素性のはっきりしない不審者と誤解され、職務質問されるかもしれない。

 いいや、違う。このような取るに足らない理由によって、彼は夜間外出を遠慮したいのではなかった。昨今、世の中も物騒なものになってきており、特にここ二,三週間、突如としてニュースを賑わせ始めた殺人鬼と遭遇したくなかったのである。とはいえ、殺人鬼出没地は東京ばかりであり、ここ京都に現れたことはない。

 殺人鬼は、その身を闇に溶け込ませてから現れる。

 ある紳士が、首を切断されたこともあった。

 確信して、そう、殺害行為が良からぬことだと知っておきながら、いまだに殺人をしているのだろうか。

 近くに人気はない。早く帰ろう、とした時だった。

 漆黒のトレンチコート、闇色のニット帽、ぴったり感のある墨色のジーパン、暗黒色の杖。長身で、やや細身の男が現れた。彼が唯一黒色でない部分といったら、それは木綿でできた手袋とマスクのみ。それらは、黒とは対照的な白色に包まれていた。

 男の瞳は、名状しがたいまでの不気味さと冷たさを抱えている。殺人鬼なのだろうか、と小石は訝った。だがここまでならば、殺人鬼と判断するには証拠に乏しい。早合点は禁物である。

 小石は無意識の内に、後退ったものの、そう考えていた。しかし次に、その男が殺人鬼である、と彼は嫌でも認めねばならなかった。

 男が暗黒色の杖を両手に持ち、素早く左右に引くと、刀身が姿をあらわにしたのだ。それは月光を反射し、異様な光輝を小石に見せつける。世を騒がす殺人鬼という決定的証拠を、小石が手に入れた瞬間だった。

 逃げるが勝ち。小石は回れ右して、左右の足に全力を注いで、疾駆した。耳元で風が微かな唸りを上げる。夜気が頬をなでた。

 男が追いかけてくるのが解る。

 小石は助けを呼ぼうとしたが、人気がまるでない。助けてくれ、と大声で怒鳴ったが、時間が時間というのもあるのだろうか。消灯された民家から人が出てくる雰囲気は、皆無であった。

 自動車でも通行人でもいいから、とにかく眠りについていない人間はいないのか。小石は走りながら、視界の限り、人を探った。

 だが、いない。

 背後の足音が、しだいに近づいてくる。長身な殺人鬼の足は、相当速かった。今までこの男が狙った獲物を仕留めそこねたことがなかった理由の一部は、そこにあるのかもしれない。

 小石は、接近してくる死から逃れようと、とにかく力の限り走り続けた。

 前方から大型トラックが走ってくる。しめた。夜を退けるライトの中に躍りでた。

「止まってくれ!」

 無論、叫びながらも走っている。そうでもしないと、殺人鬼に斬りつけられてしまう。

 暗闇に慣れきった目だったので、眩しさに小石は目を細めた。明順応するまで、少し時間がかかる。もっとも、それでもトラックが停止しているか否かくらいは察せられる。そして小石の中では、嫌な推測が膨らみつつあった。

 こいつは止まらない。

 まだ明順応しきっていない目だが、それでも運転席にいる運転手が、運転席に座しながら、頭で船を漕いでいるくらいは解る。それに気づいたのは、小石とトラックとの距離が僅か十メートル足らずの時だった。

 小石は俊敏にも、道路を蹴り、横っ飛びした。

 中身の詰まった麻袋を鈍器で殴りつけたような音が、低く轟く。その音には、濁音がついていた。立て続けに、トラックが急停止し、無意識により維持されていた速度が急逝する。

 けたたましいブレーキ音が、この辺り一帯の空気を大きく揺るがした。民家に灯りが、ちらほらと復帰する。

 ここにいては、面倒なことになりそうだ。激しく酸素を求める肺に休息を与えてやりたいのは山々であったが、小石は駆け足で逃げだしたのだった。

 

 

 帰宅後、ベッドに身を横たえた。小石の部屋は意外にもきれいに片付けられており、清潔感が漂っている。とはいえ、家の掃除は彼がしているのではないのだが。母親か、というと、そうでもない。聡美がやったのである。

 小石の反対を強引に押し切って、二日前に聡美が彼の部屋に押し入った。彼女は彼の部屋に入って、あまりの汚さに愕然とした。ベッドの上は教科書やら漫画やら紙くずやらで占拠されており、床も同様の醜態を晒していた。

 溜息とともに、彼女は掃除を始めた。掃除をしてゆく内に、またも驚愕の事実に聡美はぶつかった。ゴミ箱がないという真実に。

 そんなこともあったなあ、と小石はぼんやりと思った。どうせゴミ箱があっても、彼はそこにゴミを捨てない。そもそも無駄なものは部屋に置かない、というのが彼の信条であった。そして、彼はそのことについて心の内で胸を張っていた。

 

 

 落下している。そんな感覚を味わい、慌てて小石は目を開いた。しかし落ちてなどいなかった。

 意識がはっきりとしてくる。辺りを見ると、どこかの商店街のようである。右手には八百屋、左手には駄菓子屋が店を構えている。

 どうにも腑に落ちない。小石はベッドで寝て、それからまだ学校に行っていないはずである。ましてや、このような知らぬところに立っていることも不可解だ。

 まさか夢遊病なのか。一瞬そんな負の思考が流れるも、まさか、と彼は根拠もなく、その可能性を否定して歩き始めた。

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