ガシャポン彼女
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 彼女は一瞬躊躇っていたが、すぐに逃げだした。

 それを見届けてから小石は、凶器を持つ女性と向かい合った。

 幸い、背中に激痛らしい激痛はない。

 どうも出刃包丁は突き立てられたのではなく、背を這うようにして斬り付けただけのようだ。致命傷でなくて良かった。

「ん? ああ、おはよー、て、あれ? なんか暗えな……」

 東森からのちぐはぐな言葉を受けた小石は女性を睨みつけ、それからその顔にどこか見覚えがあることに気づいた。

「お前は――」

 女性が、出刃包丁で斬りつけてきた。

「くっ!」

 小石はのけぞって鋭い攻撃をかわし、女の手から凶器を叩き落とそうとする。しかし、なかなかうまくいかない。

「え? もしかして、俺……丸々一日寝てしまって、明日の夜とか? うわ、ありえねえわ、これは」

 ぼけた言葉をバックミュージックに、小石と女性の戦いは続けられていた。

 一瞬の隙も見せられない。

 凶器を繰り出す鮮やかな攻撃は、これが彼女にとっての初陣ではないことを無言で伝えていた。

 とうとう、出刃包丁が彼の胸を僅かに斬りつけた。鮮血と服の一部が宙を舞う。

「おわっ! そいつ誰だ! てか、お前も誰だ!」

 東森に対し返答したいのは山々だったが、今の小石には無理だ。

 防戦一方で埒が明かない。しかも、次第に小石の回避行動が鈍化しつつあった。疲労が錘となり、小石の素早さを奪ったのだ。

 小石の動きが鈍化しているのに対し、女性の攻撃の手は少しも緩んでいない。正確に、直線的に、出刃包丁を突きだす。

 避けられない。

 白光りする出刃包丁は、彼の喉元へと、突き進む。

 青白く、冷徹な恐怖が、狙われた部位を基軸として広がる。

 不可避の死が彼を飲み込もうと、大口を開く。

 と、突然の花瓶の再来によって、出刃包丁が後方へと弾き飛ばされた。

「させねえぜ!」

 東森が投げたのだ。

 女は無言のまま、痛めたらしい左手を抑えていたが、やがて右手をポケットへ忍ばす。

「まずい! 逃げろ! 東森!」

「は? へ? なんで俺の名前を、お前は――」

「いいから来い!」

 やや錯乱状態に陥っている東森の右手を、小石は強引に引っ張り、駆けだした。

 暗闇であり、不慣れな校内がゆえ、全力を出すことはできない。それは敵とて同じことだろう。

 だが途中から先頭の疾駆者を小石から東森へと代えたので、ややこちらが有利となった。

 校内を抜け、グラウンドに到着。

 グラウンドのライトは消され、雷が時折気紛れにもたらしてくれる青白い光が唯一の光源となっていた。

 冷たい雨を受けながら、小石と東森はグラウンドの中央へと避難した。

「なんでえ、お前は?」

「俺は小石、小石芳治」

「小石!」

 東森が素っ頓狂な声を上げ、小石を指差す。

「じゃあなんでえ、あの凶器をぶんぶん振り回していたのが真南夢さんってか?」

 小石が眉間に皺を寄せ、無言のままでいると、すまんすまん冗談だってよお、と東森が訂正と謝罪をした

「んで、あいつは誰なわけ?」

「解らない。けど、お前を殺そうとしているんだから、少なくとも恨まれているのはお前なわけで、だから東森こそあの女を知っているんじゃ?」

「うーん、最近、おなごに恨まれるようなことはしてないけどよ。それに、薄暗くて顔なんてほとんど解らなかったし」

 確かに、と小石も同意した。しかし、とするとあれは一体誰なのだ。東森を殺して得する人間とは――

「三十五歳の奴らか?」

「しっかし、それなら、なんで俺のことが解るんだ? 姿形結構違うはずだろ?」

 東森を改めて見ると、なるほど三十五歳の彼の人相は、ややもすると映画で要される猟奇的殺人犯の役にでも大抜擢されるものであったが、今の彼は相当柔らかな顔立ちである。

 これならば、彼の真名と在籍する高校名という二つの情報なくして、東森殺害を実行することはできないだろう。

「それは――」

 足音が前方から近寄ってくる。

 小石と東森は視線を互いから、そちらへと移した。先程の女らしき人物がいる。

 顔が解らないので確信は持てないが、出刃包丁を振り回していた女と見てほぼ間違いないだろう。

 彼女が金属バットを引きずって歩いているからだ。その足取りはゆっくりである。どこから近づこうが、グラウンドの中央にいる獲物には気づかれてしまう。だから、早かろうが遅かろうが無関係、とでも考えているのか。

「なあ、逃げねえか?」

 この女が三十五歳なのは間違いない。もしかしたら、山中なのかもしれない。だが、だとしたら無視できない大きな矛盾が立ちはだかることになる。

 あの空間では、嘘を吐くことができないのだ。

「いや、逃げない。俺達の素性がばれているのだとしたら、家も特定されている可能性がある」

 小石は視線を女に固定したまま、一歩後退した。東森もそれに続く。

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