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「聞こえないぞ」 分身が慌てて携帯電話を操作し、音量を上げている。 『ごめん、ごめん。ええっとね、おそらくこの世界に来た人自体の時間が止まっている、ということ』 「あ? 意味解んねえぞ。時が止まってんなら、どうして、俺らは歩ける? 喋れる?」 携帯電話から、溜息の漏れる音がする。 『ピーターパンのようになってるってこと! 私達十五歳は現実世界では十五歳のままだし、奴ら三十五歳は三十五歳のまま』 「ねえ、どうしてそこまで協力的なの? 私もそんなこと知らなかったし、脱出する希望は――」 分身がおずおずと横から会話に入ると、案の定、主から棘だらけの叱責を受ける。 「どうしてそれが解った?」 小石が聞いた。 男性の髭の成長が止まっている、眉毛を抜いていた女子もその必要がなくなった、狭間における古参兵たる男子も、ここ三ヶ月間身長が全く成長していないことから、そう推測できる。 「また、時間絡みか」 『ええ、この空間には、やたらと時間がつきまとっているのは事実ね』 「じゃあ、猫と犬はなんでえ?」 東森が初めて質問する。 『猫と犬……ね。あれは、確証は持てないけど、おそらく、動物が現れる日、時間進行日は、未来なのかも……』 どれくらい先の未来なのだろうか。よもや百年先というのは、いや五十年後というのも考えにくい。今乗っている飛行機は、素人目ながらも、今の飛行機と比して、さほど技術が向上しているようには見えない。町の風景もそうだ。現代にありがちなものだった。 『小石君の言う通りだよ。未来という仮定が正解であっても、この未来はせいぜい十年後かそこらへんだと思う。そこまで調べていないけど、っていうか調べる時間なんてないから解らないけど、多分そんくらい。それに、これだと説明できないことがあるのよね。私はもう試したけど、現実世界で実家の机を引っ掻くの。じゃあもし狭間での時間進行日が未来なら、このパラレルワールド内の机にも同じ傷がつくはずでしょ? けど、つかないのよね』 「おいおい、それは時間進行日が未来ではないっつー、何よりの証拠じゃねえの?」 馬鹿ね、最後まで聞いてから反論したら、と主が挑発的な台詞を東森に吐く。 分身は、口パクでごめんなさい、と謝罪した。いくら主だからといっても、自身はコピーなのだ。その原盤がなすことについて、多少なりとも責任は感じるのだろう。 『確かに、それだけなら、私も時間進行日が未来だっていう説は、とっくに捨てているから』 主の声が、やや怒気の含まれた調子に変わる。 『私は自分の家で、写真――立――』 電波が悪いようだ。主の言葉が不自然に句切られ、中身が潰される。 慌てて分身が携帯をいじるけれども、成果は大して上がらない。ミルクも、不安そうに携帯電話を見ている。 『大事な写真立てがあったの。それを間違って壊しちゃって……。それでさ、これは現実世界にも影響したのね……。そう、写真立てが壊れちゃったの』 今度はしゅんとした声になる。相当感情の起伏が激しい。心が、まるで薄いガラス細工でできているようだ。 『だから、この世界、つまり時間進行日が未来ではない、とは言いきれない。むしろ、未来なんじゃないか、っていう可能性が大きい。犬や猫だけがここにいるのは、彼らが予知能力を持つ者だからよ。ほら、よく言うじゃない、鼠が沈没する前の船から逃げだすとか、地震が起きる前に犬が騒ぎ立てるとか。あれは、彼らが未来予知しているんじゃなくて、未来にも意識が存在しているからよ』 「今日は時間停滞日だったな。じゃあ、時間停滞日は過去ってことか?」 『でしょうね。過去って、現在によって時間を使い尽くされた世界だし。だから飲み物に味はないし、時計が止まっている――全ての動力源が停止している。これはもう体験済みだったよね?』 動力源。 硬直してしまった。 急速に、小石の体内が冷却されてゆく。 分身も東森もぎょっとして、慌てて前の窓を見やる。が、落下していない。 『ふふふ。今日は時間進行日でしょ。しっかりしてね』 しかしながら、昨日は時間停滞日だった。以前の来訪日に飛行機が機動していた理由とは一体なんなのか。 『あなた達の飛行機が飛んでいられる理由は、二つ考えられるね。一つは、これすらも小石君の使者による力。その手袋のね』 甘えるような鳴き声を、小石の使者が漏らす。 それが携帯電話を通して主の耳に届いたらしく、名前でもつけてあげたら、と言う。 「そうだな。じゃあ、テンシュで」 「早っ。で、どういう意味なんだ?」 「運転手からウンを抜いただけ」 簡潔ね、と真南夢二人が声を揃える。 と、不快そうに、ふん、と鼻を鳴らす音が携帯電話からした。 「しかし過去だからって、時間が止まっているっておかしくないか? 過去でも時間が流れて、いつか現在に到達するんじゃないのか?」 『過去だからといって、時間が止まるって変な感じってのは解るよ、もちろん。私も、そう思ってたし。けど、これは過去に対する考え方によりけりだよね。 未来は未来で、現在は現在で、過去は過去で独立的に存在し、時間を進めている、という説からは、時間停滞日が過去である、とは言えない。 でも、過去が使い捨てのものだとしたら? 過去は、過ぎ去った時点で消滅してゆくものだとしたら? 過去はない。過去は消化されて、その途端に消える、あるいは一日経過してから消滅するとしたら? ここに時間がないんじゃなくて、時間は要らないのよ。だって、過去だもの。時間は食べつくされて、残りカスしかないんだもの』
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