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東森も、口を開きかけて閉じた。一体どこから現れた、と問いたいのだろう。 しかし、それら全てを後回し。 そうでもしないと、後がない。 戦略的撤退なのだから、逃げることに対して決して戸惑わない。 前方に見える建物から見て、右方向に走った。 大学内から出て、そこに都合良く駐車されているトラックに乗り込んだ。施錠されていたものの、テンシュを呼びだすと一秒足らずで解錠してくれた。 後は、テンシュの専門分野だった。どこでもいいから全速力でぶっ飛ばしてくれ、と小石が注文し、 「責任は全て私が持つ!」 と東森がちゃらけて言う。 今はそんな時じゃない、と真南夢がややきつめに東森の頭を叩く。微笑ましい風景が作られる中、小石は自動車を発進させることに成功し、坂を下っていた。 バックミラーを見る。殺人鬼は見当たらない。撒くことに成功したようだ。安心したら、どっと疲れが押し寄せてきた。 「おいよ、おいよ、お前さんは、どこに隠れてた?」 東森は、小石に休息を与える気はさらさらないらしい。いや、小石がひどく憔悴していることに、全く気づいていないようである。 「彼は疲れてんでしょ! それに、まだ危険は終わったとは限らないし」 「え? な、なんでだよ!」 「だって、ここ指定区域だもの。他の三十五歳も全員ここに集結しているわけだし。いつどこで三十五歳とばったり出くわしても、全然不思議じゃないんだから」 「確かに」 東森が、しゅんとする。 坂を下っていくと、T字路にぶつかった。なんとはなしに、右折することに決めると、左手に浄心寺が見えた。 「あー、この寺って通り抜けできんだぜ」 東森が浄心寺を指差す。先程の下降気味だった気分は、もうないらしい。 「しっかし、この中を通る意味はあるのか?」 「そろそろ空園に行かなくちゃならないし、ここを通り抜けた方が近いよ」 主によれば、分身と十五歳は空園前にあるマンションに集っているらしい。そして、そこへ行くには浄心寺の通り抜けが最短ルートだ、と分身が言う。 「ああ、解ったよ。行けばいいんだろ、行けば」 歩道に乗り上げ、門から浄心寺に入った。やや隆起のある石畳を走行していると、前方に目を疑う存在が仁王立ちしていた。 「何、あれ……」 それは、苛烈な火炎に見立てられた後光を背負い、左手に宝剣、眦は避けんばかりの勢いで見開かれている。見紛うことなく仏像だった。 小石は思わずブレーキを踏み、速度を緩めたが、銅で作られたであろう仏像はこちらに向かってくる。 銅の足と石畳が接触するたびに、金属のけたたましい悲鳴が上がった。 「まずい、まずいぞ」 仏像の歩が、速まる。 「逃げて!」 「了解」 小石はテンシュに、可能な限りの速度で後進するように命じた。テンシュのつぶらな瞳が、ぱちくりとやられる。 手袋が勝手に動きだした。次いで小石の意思とは無関係に、足がアクセルを踏み込む。タイヤが石畳の上で数回転スリップし焦げた臭いを作った後、自動車は後退し始めた。 だが悲しいかな、すでに背後にも仏像がいた。しかも、五体。この一体、一体が使者なのだろうか。数人の三十五歳が、十五歳の首を掻き切るべく、ここで息を潜めていたというのか。後退を中止し、小石は深呼吸した。 「強行突破しかねえだろ!」 東森が叫ぶ。無論、小石もそのつもりだった。前門の虎、後門の狼というが、虎一体、狼五体となれば、とるべき行動は決まる。 「つかまれ!」 小石はアクセルを全開にし、テンシュにハンドル捌きの一切を任せた。これで、運転ミスは起きないはずだ。 仏像が宝剣を脇の砂利に突き立て、両手をこちらに向ける。この自動車を受けきるつもりだ。銅で作られているのでそれなりの重量を持つはずだが、これくらいひき殺してやる、と小石は意気込んだ。 確かな質量を持つ銅と重量感ある自動車が、正面衝突する。 仏像との力比べに勝ったには勝ったが、それはボンネットにしがみついていた。 「なんとかしてくれ!」 両手が塞がれている小石は、怒鳴った。 「おうよ」 東森が、フロントガラスを肘で割る。小さな立方体の姿をした破片が、大気中をゆっくりと舞う。 刹那、時の流れが緩やかになった、と小石も真南夢も、そして当の東森でさえ錯覚した。 やがて、時が速まりだす。 東森は、ジッポによる火炎攻撃を命じた。使者は大きく息を吸い込んだ後、仏像目がけてその外見に似合わぬ激しい炎を吐きだす。 仏像の肌の上で、血気盛んな炎が激発する。 仏像はそれでもなお手を伸ばしてきたが、ふらついていた。急速に溶解した身体とあっては、思い通りに動くことができないらしい。 「後ろにもそいつをかましてくれ!」 小石はバックミラー越しに、仏像の群れが押し寄せてきているのを視認してから言った。 リアバンパーに、仏像の宝剣が差し込まれる。それによって、いくらか自動車の速度が緩まった。
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