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彼女がきょとんとしたので、小石は大雑把に、殺人鬼との生死を賭した競争を語った。 「そんなことがあったんなら、もっと早く言ってよ!」 「おいおい、そんなこと言われても、君と話す機会がなかったしな。初めてここへ来た時、君と出会ったけど、すぐに逃げるしね」 「当たり前でしょ! さっきも言ったけど、私と出くわす時点で、その人はかなりの力を持っていることの証明なんだから。だから、私は東森君からも必死に逃げていたのよ! おまけに彼の場合、私に攻撃までしてくるんだから」 確かに、それでは誤解を招いてしまのうも頷ける。あの悪人面となれば、なおさらであった。 「解ったからさ、早いとこ行こうぜ。君がいかに幸運に包まれていても敵と出会う時は出会うし、何より君がいると、とてもいい雰囲気になる」 「そう? そんなこと言われたことないけど」 「へえ、結構、皆、そう思っていると思うけど。ま、とにかく来てくれ」 半ば強引に小石は森塚と下車し、改札口まで行った。そこからトイレは見えるのだが、小石も真南夢も見当たらない。どちらか一方がトイレに入り、残りが見張りをするはずだから、二人の内いずれかの姿が見えないとおかしい。 プラットホームの方で、声がした。 「東森の声か?」 それに対する森塚の返事を待たずに、小石は全力で階段を駆け上がった。一番乗り場と二番乗り場しかない小さな駅なので、東森がいるならば、すぐに解るはずだ。 「いた!」 東森は大型犬の群れを相手に――いや、犬にしてはおかしい。目に生気は一切なく、首周りの毛は、荒れ狂う炎のようであった。尻尾も同様に、吠え猛る炎といった感じだ。犬と決定的に違う点は、それが一切の毛をまとっていないことだった。 よく見なくとも、犬が着込んでいるのは毛に見立てられた花崗岩である。外殻どころか、犬と思しきそれ自体は、おそらく全て花崗岩でできているにちがいない。なんといっても、それは狛犬なのだから。 東森は劣勢だった。 狛犬の群れは、六頭いる。どれもこれも頑強な犬である。炎を受けても焦げるだけで、びくともしない。 「来い! 東森来るんだ!」 「遅えって!」 東森が振り返った。右頬にブーメラン型の大きな傷が、彫り込まれている。狛犬にやられたのだろう。 「見張りを交代でやるって言っておいて、どういうことだ!」 「どうもこうもさ――くっ!」 東森の足に、狛犬が食らいつく。彼はそれを蹴り上げて、なんとかふりほどき、小石のところへ到達した。 「何か策はあるのか?」 低く唸る狛犬が小石と東森を包囲し、ぐるぐると回り始めた。まるで、かごめかごめを仲良くやっているようである。 「あるといえばあるかな」 小石は狛犬を刺激しないように、ゆっくりとかがみ、コンクリートに手をついた。 「ちょっと待――」 東森は小石が何をするか理解し、慌てて止めたが、遅かった。 唐突に二人の立っている部分だけ底抜けし、彼らは階下へと急降下した。下腹部に冷たい感触が殺到する。 「バカヤロー!」 東森は言ったがしかし、小石は計画的だった。 彼らのいる範囲内のコンクリートだけゴムに切り替え、そしてその周囲五ミリメートルだけを空気にしたのだ。 階段のちょうど踊り場に到着。 小石は腕と両膝に、東森は両足に、鈍い圧迫を感じた。とはいえ落下による衝撃はかなり防ぐことができたので、無傷で済んだ。 二人は、今しがた通過した穴を見上げた。 穴から狛犬が顔を覗かせた、かと思うと、意を決して飛び降りてくる。残りの狛犬も負けてなるものかと言わんばかりに、空中へ身を投げだした。 「逃げろ!」 鈍痛を抱えたまま、二人とも階段を一気に駆け下りた。何度か数段踏み外し、小石の踵にひどい痛みが走る。 背後で狛犬が階段と衝突し、身体を玉砕している。石の破片が、凶器となって四方八方に飛散した。その一片が、小石の頬を掠める。 一頭であれだけの量が、空中を踊り狂うのだ。まして残りの狛犬が階段に降り立った時は、どうなることか。 恐怖が小石を締めつける。 しかし、これ以上速度は出せない。短距離に見える階段に加え、小石と東森はかなりの速さで駆け下りているのだが、狛犬の群れが落下する速度に比べたら、圧倒的に遅かった。 背後で、次々と階段にその足をつける。中には、狛犬同士が激突し、盛大な石の花火を迷惑にも飛散させるものもいる。ここまでくると、辺りはもう凶器の渦だった。 喉笛を掻き切るに十分な鋭さを持つ破片。 頭部を砕き割れそうな重量を有する破片。 致命傷は与えないまでも、腕や足に重傷を負わせるほどの威力を所有する破片。 小石としては、さっさと空気なりなんなりを鉄にして盾でも作りたかったが、改竄するに要する時間がない。あれは、意外にも時間がかかるのだ。 腕や足に鋭い痛みが走る。 たまらずこけかけたが、ぐっとこらえ、どうにか階段横に逃げ込むことができた。 東森も服をずたぼろにしながら、たどりつく。 数秒間、天井やエレベーター、壁を、破片の嵐が強烈に打ち叩く暴力的な音が支配していた。 が、それも止んだ。
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