ガシャポン彼女
トップ バック

 

 いくぶん怖い印象のある顔文字まで、丁寧に添えられている。あの本、はまっていたとはいえ、ここ最近は狭間の出来事ばかりに振り回されて、少しも読み進めていない。

 肉体的にはさほど疲れていなかったが、精神的にかなり参っていた。安息を求める心が、小石を眠りに引きずり込もうとしている。

 だが、ここで折れたら男が廃る。小石はベッドから這いだし、立った。まさか立ったまま寝ることはあるまい。

 

 

 贅の限りをつくされた豪華客船ティルスディア号は、すでに血の色に塗り替えられていた。人が次々と殺されてゆくのだ。乗客員の中、あるいは船員、ひょっとしたら船長その人が、殺人犯なのかもしれない。

 疑惑が疑念を呼び、疑念が懐疑を引き寄せる。船上にいる人々は、皆、誰も信用できなくなり、膨れ上がった疑いは船上にいる人全てを一所に集めることとなった。

 しかしながらそれでも殺人は繰り返され、その後決まって死体は消失するのだった。死体はどこへ。殺人はどうやって行われているのか。解らない。

 誰かがトイレに行った時、眠っている間、そういった僅かの隙が突かれた。また一人、一人と消えてゆく。そして、とうとう五人だけとなってしまった。船頭を失くした船は当て処もなく、海の上をさまよっていた。

 この中に殺人犯は潜んでいるのだろうか。しかし五人には、到底そう思えなかった。年齢がまちまちといえども、彼らは互いを信じ合えたのだ。や、正確に言うと、年齢は比較的固まっていた。十五歳二人に、三十五歳が三人。

 今まで互いに励まし合ったあの十五歳の言葉が、三十五歳の言葉が、嘘なのか。暇だから展開した身の上話の全てが虚構なのか。この船から出よう、と生き抜いた五人は考えた。ティルスディア号は豪華客船の割に、救命ボートの作りがあまりに粗末だったし、第一それら全ては破壊されていた。

 三十五歳の秋山正晴、この物語の主人公は、ボートを修理しよう、と主張した。この船に乗り続けていたのでは、命がいくらあっても足りない。それに、仮にこの五人の内の誰かが殺人犯であったとしても、その人が窮屈な救命ボート上で殺人を犯せることはありえない。したとしても、即座に残りの三人が察知し、そいつを海底に沈めることもできるだろう。

 秋山の案に、皆が賛同した。早速、彼らは救命ボートの修理に取りかかったのだが、なんということか、ティルスディア号に一筋の白い稲妻が打ち込まれた。炎がゆっくりと、やがて急速に拡大し始める。

 五人で、消火することは確実に不可能だった。救命ボートの修理は不完全だった。しかしだからといって、このまま焼死あるいは水死するわけにはいかない。仕方なく、五人を乗せた救命ボートが海上に下ろされた。

 が、不運というものは続くものである。定員超過しているわけでもないのに、ボートが沈み始めるのだった。救命ボートの修理が、不完全だったからだろう。秋山が、試しにボートから下りてみた。すると、ボートの沈む気配が打ち消される。

 あまりに残酷な事実だった。生き残るには、誰か一人を置いていかなくてはならない。この広大な海の中に。

 その一人が死ぬ未来を迎え入れるのは、明白だった。冬の海に浸かり続けるのは、相当こたえる。秋山はボートに戻ろうとしたが、四人に押し戻された。

 誰も死にたくはなかった。ジャンケンなりくじ引きなりして、死を選択する気もなかった。海にいる人間が、死ぬのならそれでいい。誰もそれに反対しないのなら、なおさらそれで良かった。見捨てられた秋山は、冷たい海の中で冷色の絶望を抱えたまま、静かに死んだ。

 

 

「なんだよ」

「計画をあなたに言おうと思って」

 屋上の風が、彼女の髪をなびかせる。まるで、流れる川のようだった。

「三十五歳で厄介なのは、操り人形とあの憎き少年だけ。昨日、空に映ったでしょ? 小石君ももう知っていると思うけど、奴は手強い。相当強い。おそらく十五歳達は誰一人として敵わないでしょうね。でも、集団で行ったら解らないよね。この少年、仲間といえる仲間を全て失ったわけだから。だって、同士討ちしたんだもの。殺人鬼は、皆の敵よ。ただ問題は、操り人形の方ね。こいつと殺人鬼がつるんでいるのを目撃したって人が何人かいた。この前のことを考えると、より一層そう思えてくるし」

 前のこと――小石は、記憶を巻き戻してみた。殺人鬼から森塚を助けた後、すぐに仏像の軍団に襲撃された。

「確かに。裏で繋がっているのかもな。ところで操り人形って野郎は、あれだけの数を全部一人で操っているのか?」

「らしいよ。又聞きの又聞きだから、よく解らないけど」

「てことは、ぶっちゃけ、誰も奴を見ていない、と?」

「うん、見ていないというより、見ることができないのね。常に影から仏像だの狛犬だの、果てはフィギュアだのソフビだのを使って、攻撃してくるんだから」

「となると、奴は遠隔操作できるってことか? いや、だとしたら、ますますもって発見なんて無理だろ?」

 残念、と真南夢が舌をちろりと出して見せた。その推測は外れ、と彼女は言うのである。

「遠隔操作は遠隔操作だけど、そんなに遠くにいないらしいよ。仏像の群れの中から、声が聞こえたらしいし」

「おいおい、待てよ。それって見てないだろ。聞いただけかよ」

「あ、そうね」

 悪びれた様子もなく、すんなりと小石の指摘を受け入れ、

「でも声が聞こえるってことは、そこにいるってことよね?」

 小石の目を覗き込んでくる。

 小石の心臓が、大きく収縮した。思わず、目を逸らしてしまった。

トップ バック ネットランキングへ投票(月一回)
Newvelに投票
web拍手
inserted by FC2 system