ガシャポン彼女
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 閉じこめられた、この薄汚れた肉体に。

 老いぼれ、というのは大袈裟だが、小石が現在有している肉体は、三十代前半のものであった。

 無精ヒゲを生やし、人懐っこそうな人相をしている。笑えばそれなりにハンサムなのかもしれないが、この現状で笑みを顔にたたえることほど難しいものはないだろう。

 溜息がどっと漏れる。くたびれた爺さん――事実は三十代なのだろうが――の肉体に押し込められた、ということに気づいた瞬間、身体が妙に重くなった気がしてならない。

 そもそも、どうして自分は車を運転している最中に、この異変に気づかなかったのだろうか。いや、もういっそのこと永遠気づかなければよかった、と半ば彼は自虐的思考に陥っていた。

「ん……」

 見つめていると、この老いぼれをどこかで見たような気がした。どこでだろうか。なにか懐かしいような感じがする。

「ま、いっか」

 多くの不思議を抱えたまま、彼はトイレを出、それから足音を聞いた。ようやく人に会えた。小石の中で喜びが広がる。

 トイレを出てすぐのところにある服屋、そこに服を持つ人がいた。少女だ。十五、六歳といったところらしく、幼さが顔に出ている。あまり日焼けしておらず、雪、という言葉が小石の脳裏をかすめた。

「おい」

 声をかけると、少女がさっと振り向く。そして、小石は驚いた。少女の目は、歳不相応のものだった。何かで汚されてしまった、曇りある瞳なのである。それでいて、どこか懐かしい、得も言えぬ親近感があった。

 虚を衝かれて、小石が言葉を紡げずにいると、彼女は服を持ったまま逃げていった。その背中を追いかければ追いつけたにちがいないが、小石にはその気が微塵も湧いてこなかった。

 あれはなんだったのか。あの目に宿る切れ味の悪い暗闇が、目に焼きついて離れない。喧嘩にはそれなりに強いと自負する小石が、畏怖を感じたほどである。

「てか、わけの解らないことばっか起こるな……」

 小石は思わず独りごちた。更に追加された謎に肩をすくめて、彼が歩き始めた時だった。身体の底まで揺さぶる低音が、辺りを飲み込んだ。

 あまりの音に、音が鳴りやんだ後もなお、耳は全くその機能を果たさなかった。深い闇にくるまれたかのようである。

 視野にも少しばかり光が舞う。聴覚がひどく揺さぶられるとこうなるのか、と頭の片隅で冷静に分析した後、小石はデパートの外に出た。

 外は無人空間であり、無音であり無臭であるはずだったが、なんということか、その白地のキャンパスにうごめく紅色が描き足されていた。

 火が上がっているのだ。先程の轟音と何か関係があるのかもしれない。あそこに行くのは危険をともなう、そう解っていても小石はそこに足を運んだ。

 火事が発生するということは、そこに人がいるのかもしれないのだ。危険人物という可能性は拭えないが、それでも彼は会いたかった。

 溺れる者は藁をもすがる、というものだ。彼は、小走りで紅色の発生源へと向かった。火は遠方から見るのとは、全然印象が違う。

 火に触れていないし、火の粉をふりかけられているわけでもないのに、頬が熱い。肌が露出している部分全てが、熱を帯び始めた。

「ちょこまかしやがって!」

 そんなにちょこまかしていたのか。慌てて小石は立ち止まる。けれども、その言は彼に向けられたものではなかった。

 紅蓮の山から、先程の少女が火傷の一つも負わずして飛びだしてきた。次に火の山から男が現れる。随分といかつい顔である彼にも、一切外傷が見当たらない。

「おい」

 小石は、いかにも悪役という感じの男に声をかけてみたが、気づいていないようである。

「チッ、また逃げられたか。仕留め損ねたぜ、ったくよお」

「おい!」

 もう一度声をかけると、ようやく気づいたのか、

「うっせえな」

と初対面にも関わらず、横柄な態度である。

「少しいいですか?」

 悪役と勝手に認定された男の視線が、小石に向けられた。

「うお!」

「はえ?」

 思わず小石の口から、素っ頓狂な声が漏れる。

「うお……逃げねえ人がいる……」

「なんのことか俺、全然解らないんだけど。少しくらい俺の疑問を解かしてくれよ」

 あまりにがさつな対応をする男がゆえに、自然と小石の口調もそれに近いものとなった。

「とにかくここ熱いし、さっさと別の場所へ行こうや。それに、不意打ちくらうかもしれねえしな」

 まだ元気な炎を見てから、小石は頷いた。彼の言う通りである。不意打ちというのはよく解らないが、この不可思議現象の軍団のことを知っているらしい悪役に従っておけば、まずいことにはならないだろう。

 

 

 近くのコンビニで、彼らは語らった。無論、他に人はいない。

 悪役の名は、東森清吾。三十代のくせに、いまだに高校に行っているぜ、と冗談めいたことを言う。部活はやらずに、帰宅部に入っているとのこと。

「でも、大変だぜ、帰宅部って。何が大変かっていうと、毎日、どのように帰ればいいのか悩むからな。それが帰宅部ってもんよ」

 さして面白くなかったが、一応小石は軽く笑っておいた。

「ところで――」

 小石は、話題を転換した。

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