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四十四間堂は蛻の殻。そこに殺人鬼を誘い込むことができれば、なんとかなるのかもしれない。 誰か一人が囮になって、殺人鬼をおびき寄せ、四十四間堂まで逃げる。 「縦長の部屋に誘い込めばいい」 囮以外は、逆巻空間の反対側にすぐ現れることができる範囲に隠れておく。後は、南野が言っていたように、一斉攻撃すればいい。 「問題は誰が囮になるか、ってこったなあ」 東森が、どてっと後ろ向きに倒れ込み、天井をぼうっとした眼差しで見ている。 「俺が行こう。そもそも脱出口の主催者だしな」 小石が名乗りを上げると、東森がよっこらせっ、と起き上がった。 「待て、待て、待て。お前はリーダーだろ? 死んでもらっちゃあ困る」 縁起でもないことを、それに俺はリーダーじゃない、と小石は反論しようとしたけれども、真南夢が立ち上がり、小石の肩を押さえた。 「大丈夫。私も行くから」 怖いくせに、木漏れ日のような微笑みをたたえている。ひどく怯えているからこそ、それを悟られまいとして、小石に不要な心配をかけまいとして、あのような作り笑いを浮かべているのだ。 小石は悲しいと同時に、嬉しくもあった。どうして、自分に嘘を吐く? なぜ、そこまでして俺を気遣う? 肩を押さえる彼女の手を払いのけようとしたものの、南野が、 「座っておけ」 と掠れた声で、命令する。気迫のこもる声に、皆がしばし動きを止めた。 「お前は、リーダーだ。誰がなんと言おうと、そしてお前が認めたくなくともな。少なくとも、ここにいる奴ら皆、お前をリーダーと考えとる」 小石は過去を振り返ってみた。ここに来てから自分のなした一連の行動を考えると、自然にそういう結果に行き着いてしまう。 そんな意図はなかった。それに、自分は今まで人を仕切ったことなど一度たりともない。常に被支配者であって、権力体勢に反発していた。とてもではないが、自分が最適任者であるとは信じられない。皆の命を預かる重い役。果たして自分に務まるのか。 「やらねば解らん。お前は、東森の言葉を忘れたのか? このうつけが」 小石の表情の機微から考えを汲み取ってか、南野が叱責した。 努力は大前提。運をも引き込むくらいの努力をしろ。 改めて考えてみると、実に気恥ずかしい考えだ。君の瞳に吸い込まれそう、この世に不要なものなんてないんだ、といった当たり前だが口に出して言うのが少し躊躇われる類の言葉に似ている。 だが、そうでも、それは見紛うことなく真実だった。小石は無言で、真南夢と東森を見た。彼らは小石の視線を、しっかりと受け止め、小さく頷いた。 「俺達はどこへ隠れるべきだ? なあ、誠吾」 南野誠吾と会うまで、そして彼の計画を聞くまで、殺人鬼と会うのはまっぴらごめんだった。けれども、今は正反対である。 殺人鬼はどこにいるのか。 獲物を嗅ぎつける能力に奴は長けている、心配すんな、と南野は言っていたが、自転車を漕ぎ始め、気づけばもう十一時半。なのに殺人鬼どころか、誰の姿も見ない。 「そいやよ、今日、猫とか見かけねえな」 「あ、そういえばそうね。今日は時間停滞日なんだ」 「でも、車が見当たらないだなんてよ、ついてねえや。こんなことになるんなら、小石から自動車を奪っておくべきだったぜ。しかも、今日時間停滞日だろ? 時間の残りカスがある自動車じゃなきゃ動かないんだから、見つかる可能性は余計低いだろうしよ」 東森が、盛大な欠伸をかます。自動車は、四十四間堂に行く小石達に与えられた。 あそこへ行くには、かなり時間がかかる。仕方ねえここは譲ってやろう、と東森は気前よく言ったのだったが、かなり後悔しているようだった。 「自動車はあるにはあるんだがよ、どれもこれも鍵かかってるし、車内に鍵が転がってるなんて、幸運はそうそうねえよ」 東森の言う通りだった。 最初は自動車を見るたびに窓を割って、ダッシュボードに鍵があるかどうか確かめていたのだが、そんなものはない。 いつもなら、道路に一台くらい、ぽつん、と放置されている自動車も、今日に限ってはその姿を見せてくれないのだった。 「本当最悪よね。でも、こういうものかー。傘を持って外出したら、雨が降らないのと同じね」 「まさに、それだ!」 東森が、同意する。 「人生ってもんは、なかなか思うように動いてくれねえんだよなあ、だいたい――」 そこで、真南夢が掌を東森に向けて、話をやめるように言った。 「あ、もしもし――」 これから、憂鬱な報告が始まるのだ。主への。主はいつになく不機嫌だった。口喧嘩こそしないけれども、それは分身の自分が一切反抗しないからだ。 これが、もし反抗心を燃やし、反論の一つや二つ展開しようものなら、口喧嘩どころの騒ぎでは済まないだろう。 『あれから進展があったわけ?』 「うん、脱出口を見つけるのに、時間かかるだろうし、それまでに殺人鬼と操り人形を叩いておこうって」 『勝算は?』 そこで、分身は主に、南野の作戦の概容を説明し、今自分が囮役を担っていると言った。
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