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高速道路に入って一時間ほど走行し、そして今、彼らはスイートホテルで休息をとっていた。 なんだかよく解らない空間に放り込まれた不運の見返りにこれくらいの恩恵は当然、というのが二人の考えであった。 東森はとうに深い眠りに落ちていたが、小石の頭はまだ冴えていた。一種の興奮状態といってもいい。大きな疲労が、小石の身体の芯に巻きついている。けれども小石の目蓋も、やがて閉じられた。 「――なんだから――――でしょ?」 小石の耳が、言葉の欠片をすくいあげた。少しきんきんする声で、耳に馴染まない。もう少し寝させてくれ、と小石は不快に思った。 「うるさいなあ――ん?」 ベッドでもそもそしながら、不平を漏らしてから、 「あ! 人がいるみたいだぞ!」 重大な事実に気づき、小石は東森に呼びかけた。しかしながら東森は、吐息と唇を震わしての二重奏を続けている。 起きろ、とばかりに東森を揺さぶるも、目覚める気配は全くない。起こすのに手間取って、せっかく出会えるかもしれない人間を見失うのは手痛い。 眠気が身体の芯に若干残り、ふらつくものの、すぐさま彼は立ち上がった。スリッパを履こうとしたが、うまくいかない。舌打ちをし、小石は扉を開けた。 瞠目するほどに光沢を帯びる艶やかな白をまとう大理石の床、柔らかな光を放つ天井に埋め込まれたライト。幻想的な雰囲気の中、小石は確かに人の姿を捉えた。 「さっさと、始末しなきゃならないんでしょ? でも、なんで私なのさー」 一人の女性がいる。二十代後半だろうか。ぴんぴんと跳ね回っている髪に、子供っぽさの残る顔が印象的だった。 すいません、声を大にして一言かけておこうとしたけれども、東森から逃げ回っていた少女のことを思いだした。もしかしたら彼女は逃げるかもしれない。 せっかく手にしかけた幸福を、みすみす逃すのはごめんだ。こういうものに限って、するりと手の中から抜けるものなのである。少々気が引けるものの、小石は足音を消して、彼女に近づいた。 「頼れるのは、ミルクだけだよ」 ミルク? 小石は聞き返したかったが、ぐっとこらえて、抜き足差し足で接近し、そしてここまでくれば逃げても捕まえられるだろう、というところで、 「こんにちは」 と言ってみた。 「コンニチワ」 機械的な声がする。彼女の声ではない。 「誰? あなた……まさかとは思うけど……三十五歳?」 やや警戒気味に、名も知らぬ女性が聞いてくる。 「うーん、三十五歳なんだよな、多分」 そう、自分はこの世界では、しがない老いぼれなのだ。 「じゃあ、敵ね!」 「テキネ!」 彼女の足下にいる生物も言う。 これも精霊とかいう奴なのだろうか。それを見ると、兎モドキくらいの大きさで、全身が輝きに包まれていた。少しでも動くたびに、輝きの度合いが変化する。 目を凝らしてみると、どうやらこの生物は鏡で覆われているようである。そう、鏡の鱗だ。外形は亀に近いが、甲羅に神秘的な模様が彫り込まれていたり、甲羅から露出している部分である四肢がダイヤモンドをそのまま接合したかのようにごつごつしていたり、という点では異なっている。 しばしそれに小石がみとれていると、 「やっつけろ!」 「ヤッツケロ!」 亀が口を大きく開け、彼女の言葉を反復する。 「ま、待ってくれ! 俺は何も知らないんだって!」 小石が弁解してみるも、攻撃の手が止まる気配はない。あらぬ誤解を招いてしまった。仕方がない。小石は回れ右して、逃げだそうとしたが、 「あなたは、使者を出さないの?」 「死者? 亡霊?」 「じゃなくて、使者! この亀みたいなの! あ、あなたの場合、亀かどうか知らないけど」 ただちに攻撃を受けずに済むらしい。小石は胸をなでおろし、彼女に顔を向けた。 「知らない。俺はここに来て、まだ一日も経っていない。というか、人にすらほとんど会っていない。君を含めて、俺は二人、いや三人しか出会っていない」 彼女は、きょとんとしている。酸欠状態の金魚みたいに、しばらく口をぱくぱくやっていたが、 「ということは……主ってこと?」 「カルビ?」 「あるじ! 主よ、主!」 彼女が、訂正を素早く加える。 「待ってくれ。俺は本当に何も知らないんだって。カルビだかやる気だか知らないが、とりあえず何も知らないって。その使者だって、俺は出せない。あ、そういえば、東森は出せたけど」 「ヒガシモリ?」 「あ、東森ってのは、俺が見つけた人間で、一緒にいる奴だ」 言ってから、小石は慌てて自分の名前を告げたが、相手は自己紹介してくれはしなかった。 「ふーん、どうやら本当みたい……ね」 どうにか信じてもらえたらしいので、小石はひとまず自身のいた部屋に来てくれないか、と言うと、いいよ、と彼女は承諾してくれた。
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