ガシャポン彼女
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 小石はそれでも理解が進まず、数秒間は思考が錆びついたままであった。

「だからさあ――」

 真南夢が、耳元に近づいてくる。

 反射的に小石はのけぞった。

「この世界では初めてってこと。『狭間』でしか会ったことないもの」

 彼の耳元で、彼女がそう囁いた。

 あの空間の潜在的奇異は未知数。

 それは、危険があるかもしれないことを意味する。

「というわけで、初めまして」

 ぺこり、と真南夢が頭を下げる。慌てて小石も返すも、どうにも釈然としない。一体誰なのだろうか。東森というわけでもなさそうだ。

「私が東森? そんなわけないじゃない。私はあなたを襲おうとした人――じゃなくて、『あなたを襲おうとした人の主』ね」

「カルビ?」

「じゃなくてア・ル・ジ! 主!」

「待て、待て……とすると、あのことは全て本当に起きたってことか?」

「そうね、って、君意外に飲み込みが遅い方?」

「かもしれない」

「ふうん」

 彼女の瞳にこもる意地悪な光が、少し大きくなる。

「教えてくれないか?」

「えー」

 やはり、そうきたか。小石は内心で舌を巻いたものの、すぐに彼女は、嘘、と言ってくれた。

「えーっとね、あそこ――狭間ではね、時間停滞日と時間進行日に分かれているの」

「ああ、東森もそんなこと言っていたな」

 真南夢の目にある光が、すっと薄れる。

「君はいつからあそこにいたの?」

「俺は一日ちょっとかな。東森は三日くらいだっけか?」

「へえ、それだけの期間でそこまで解ったんだ。あ、でも、もう話の腰を折らないでね。一気に喋るから」

 面白くなさそうに真南夢はそう前置きしてから、説明を再開した。

「まずは時間関連についてね」

 時間進行日には猫や犬を見かける。時間停滞日にはそれらを見かけない。とはいえ時間停滞日においても、どこかしらでは時間が流れている。

「歩いた時さ、違和感あったでしょ? あれはね、時が止まっているから空気も固まっているためなの。だから、なんだかいつもより周囲がもこもこしている感じがあるのね」

 初めてあそこへ行った時、周囲が妙に冷たく硬い感触があった。

「それでね、時間の停滞と進行は、狭間において日付が変わると入れ替わるの」

 そして時間が不安定な場所もあり、そこに入るのは危険だそうだ。そこは逆巻空間と呼ばれ、入ればどこかに飛ばされてしまう。

「それとね、私達十五歳側は、あの世界では三十五歳の肉体になっちゃうの」

「待て、待て。十五歳側ってどういうことだ?」

「実はね、あの空間には三十五歳の奴らもいるの」

 真南夢の口が「三十五歳」と発する時、心なしか、歪められたかのように見えた。いや、あれは気のせいではない。小石は確信した。真南夢は三十五歳側に、強い嫌悪感を抱いている。そうにちがいない。

「あそこでは、俺達、老いぼれた姿だったけど、じゃあ三十五歳達の姿形はどうなんだ?」

「十五歳だよ」

 小石は顎に手をやりながら、うんうん、と頷いた。とすると、あの逃げ去っていった少女は三十五歳なのだ。自分や東森を見ただけで逃げた、というのも真南夢の反応から頷ける。おそらく、三十五歳と十五歳は敵対関係にあるのだろう。

「三十五歳の方々とは相容れないのか?」

「あら? よく解ったね」

 あれだけ明白な反応をすれば、誰だって解るだろ。小石は危うく内心を口にしそうになったが、どうにかその言葉を飲み込んだ。

「あなたの推測は正しいね。ていうか、仲が悪いなんていうレベルじゃないから」

 真南夢の目が、細められる。それを見て、小石の胸の内がさざめいた。

「だって殺し合いするから」

 殺し合い。殺せるかどうかは、常識をねじ曲げることに正直な狂気を帯びる凶器を持つ者次第。

「ここにない言葉、みたいな顔してるね。でも、あるよ。『殺し合い』って言葉は」

 他人様を殴りたい、刺したい、脅したい、と思ったことすら一度もない。思考の歯車が緩慢になってゆく。麻酔されていないのに、口の一部の感覚がなく、うまく話せない。

「驚いた?」

 満足気な表情を浮かべる彼女の顔で、残酷な色が膨張した。

「でも、殺さないと駄目なんだよね。じゃないと、私達――」

 そこで、彼女が言葉を句切った。

「あの世界で死んじゃうかもしれないんだよ」

 小石の心臓が大きく拍動する。重々しい事実を、さらっと言ってのける彼女の精神状態を、彼は理解できないでいた。

 言うな、と主張するわけではないが、言い方というものがあるだろう。深層に横たわる心がそう怒鳴っているけれども、彼はそれを微かにしか認識できなかった。

「三十五歳どもを殲滅させることができたのなら、私達はここに戻ることができる。でも、あそこに留まり続ければ、いつか消去される。姿形は跡形も残らない。完全に消される……」

 彼女の視線が、うつむく。

「昔、私もね、そんなことないって思ってた。でも、それは真実だった。消えない人もいたけど、消える人もいる……」

 真南夢が顔を上げて、小石を見る。

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